2011年08月04日
ちくちくちくちくちく
このところはまっているモノがありまして・・・・・
針をさす!針を刺す!ちくちくちくちく・・・・
わら人形じゃないですよ。コレ

ちくちくしていくと、固まりになっていくんです。
それに目鼻をつけて・・・・

こぎゃんなります^^
ハムタロウではなくて猫のはずなんだけどなー????
針のことはフェルティングニードルというのだそうです。
暇を見つけてはよなよなちくちくしています。
指を3回刺したら強制終了。
へこませたいところは集中的にちくちくして
新しく色をのせるところもウールをのせてちくちくして
くっつけるときもちくちくして
へこみすぎたり、隠したりしたいところもウールをのせてちくちくすればよし
うーんなんて都合の良いホビー・・・・
でも糸の量とかが曖昧すぎてその辺加減がむずかしい
とかいいながらも・・・・
しばらくはまれそうです。
針をさす!針を刺す!ちくちくちくちく・・・・
わら人形じゃないですよ。コレ

ちくちくしていくと、固まりになっていくんです。
それに目鼻をつけて・・・・

こぎゃんなります^^
ハムタロウではなくて猫のはずなんだけどなー????
針のことはフェルティングニードルというのだそうです。
暇を見つけてはよなよなちくちくしています。
指を3回刺したら強制終了。
へこませたいところは集中的にちくちくして
新しく色をのせるところもウールをのせてちくちくして
くっつけるときもちくちくして
へこみすぎたり、隠したりしたいところもウールをのせてちくちくすればよし
うーんなんて都合の良いホビー・・・・
でも糸の量とかが曖昧すぎてその辺加減がむずかしい
とかいいながらも・・・・
しばらくはまれそうです。
タグ :手芸?
Posted by わくわくなひと at
19:37
│Comments(0)
2011年08月03日
D51 170矢岳駅
折角なので、今日のは長いです。
土曜日に、人吉市の矢岳駅まで、D51に会いに行ってきました。
山道をぐるぐるまよいながら、やっとたどりついた矢岳駅。
こんなところにいたんですね・・・。

動輪はオイルをさしてぴかぴかに磨いてありました。
屋根も壁もある保存施設でこんなに大事にしてあるケースは稀。

煙突部分には集煙装置がついています。
トンネルが多い機関区だからでしょう。

後ろぎりぎりに重油添加用のパイプが写っています。
勾配がきついため、石炭だけでは火力が足りず重油を添加していたのだそうです。
さらに前1台・後ろ1台で客車や貨車をはさんでの運行だったとか。

あこがれの運転席、ですが本当は暑かったでしょうね・・・・

デフレクタ(除煙板)にはさすがに肌荒れが・・・
D51 170(170は製造番号)は1938年製造。73歳ですね。

動輪が1個だけ。刻印はなし。
長男によると「C56の動輪」なのだそうです。

矢岳駅は駅舎もきれいに手入れされていました。
打ち水のあとがありました。

車両庫。まわりもきれいに手入れされています。
ちょうどきた「いさぶろう・しんぺい号」に飛び乗って人吉駅へ
(ダンナは一人で車で人吉駅へ^^;)
あれ?こんなに楽だったの~????車内快適だし・・・。
次は鉄道で行きます。

人吉駅にはもちろんこの人もいました。

人吉号は1922年製造なので16歳年上。
そのうえ同型機は国内にもほとんど残っていないはず・・・
それでも復活できたのだから、D51もゆめではないかも。
ちなみに国内で一般の線路を走っているD51は1台だけ。
かならず人気者になると思うのですが。
最後に走ったのは約40年前・・・・
帰った後で、長男が突然ビデオを1本持ってきました。
以前NHKが放送した昭和のSLの映像集でした。
昭和40年代の矢岳越えの様子が写っていました。
見覚えのある煤塵マスクを下げた機関士さんが
汗とすすでどろどろになりながら石炭をくべている
客車ではトンネルに入るたびに大騒ぎ
すすと煙が車内に入って煙っています。
古いものすべてがよいわけではなく
なくなる理由があるからいまはないのだと
改めて思いました。
SLの技術者になりたい!と無邪気に意気込む長男に
新しい技術を研究して開発して未来のSLを作ってちょうだい!
と励ましてみました。
土曜日に、人吉市の矢岳駅まで、D51に会いに行ってきました。
山道をぐるぐるまよいながら、やっとたどりついた矢岳駅。
こんなところにいたんですね・・・。

動輪はオイルをさしてぴかぴかに磨いてありました。
屋根も壁もある保存施設でこんなに大事にしてあるケースは稀。

煙突部分には集煙装置がついています。
トンネルが多い機関区だからでしょう。

後ろぎりぎりに重油添加用のパイプが写っています。
勾配がきついため、石炭だけでは火力が足りず重油を添加していたのだそうです。
さらに前1台・後ろ1台で客車や貨車をはさんでの運行だったとか。

あこがれの運転席、ですが本当は暑かったでしょうね・・・・

デフレクタ(除煙板)にはさすがに肌荒れが・・・
D51 170(170は製造番号)は1938年製造。73歳ですね。

動輪が1個だけ。刻印はなし。
長男によると「C56の動輪」なのだそうです。

矢岳駅は駅舎もきれいに手入れされていました。
打ち水のあとがありました。

車両庫。まわりもきれいに手入れされています。
ちょうどきた「いさぶろう・しんぺい号」に飛び乗って人吉駅へ
(ダンナは一人で車で人吉駅へ^^;)
あれ?こんなに楽だったの~????車内快適だし・・・。
次は鉄道で行きます。

人吉駅にはもちろんこの人もいました。

人吉号は1922年製造なので16歳年上。
そのうえ同型機は国内にもほとんど残っていないはず・・・
それでも復活できたのだから、D51もゆめではないかも。
ちなみに国内で一般の線路を走っているD51は1台だけ。
かならず人気者になると思うのですが。
最後に走ったのは約40年前・・・・
帰った後で、長男が突然ビデオを1本持ってきました。
以前NHKが放送した昭和のSLの映像集でした。
昭和40年代の矢岳越えの様子が写っていました。
見覚えのある煤塵マスクを下げた機関士さんが
汗とすすでどろどろになりながら石炭をくべている
客車ではトンネルに入るたびに大騒ぎ
すすと煙が車内に入って煙っています。
古いものすべてがよいわけではなく
なくなる理由があるからいまはないのだと
改めて思いました。
SLの技術者になりたい!と無邪気に意気込む長男に
新しい技術を研究して開発して未来のSLを作ってちょうだい!
と励ましてみました。
タグ :SL
Posted by わくわくなひと at
18:53
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