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Posted by おてもやん at

2011年08月03日

D51 170矢岳駅

折角なので、今日のは長いです。

土曜日に、人吉市の矢岳駅まで、D51に会いに行ってきました。
山道をぐるぐるまよいながら、やっとたどりついた矢岳駅。
こんなところにいたんですね・・・。



動輪はオイルをさしてぴかぴかに磨いてありました。
屋根も壁もある保存施設でこんなに大事にしてあるケースは稀。



煙突部分には集煙装置がついています。
トンネルが多い機関区だからでしょう。



後ろぎりぎりに重油添加用のパイプが写っています。
勾配がきついため、石炭だけでは火力が足りず重油を添加していたのだそうです。
さらに前1台・後ろ1台で客車や貨車をはさんでの運行だったとか。



あこがれの運転席、ですが本当は暑かったでしょうね・・・・



デフレクタ(除煙板)にはさすがに肌荒れが・・・
D51 170(170は製造番号)は1938年製造。73歳ですね。



動輪が1個だけ。刻印はなし。
長男によると「C56の動輪」なのだそうです。



矢岳駅は駅舎もきれいに手入れされていました。
打ち水のあとがありました。



車両庫。まわりもきれいに手入れされています。

ちょうどきた「いさぶろう・しんぺい号」に飛び乗って人吉駅へ
(ダンナは一人で車で人吉駅へ^^;)
あれ?こんなに楽だったの~????車内快適だし・・・。
次は鉄道で行きます。



人吉駅にはもちろんこの人もいました。



人吉号は1922年製造なので16歳年上。
そのうえ同型機は国内にもほとんど残っていないはず・・・
それでも復活できたのだから、D51もゆめではないかも。

ちなみに国内で一般の線路を走っているD51は1台だけ。
かならず人気者になると思うのですが。

最後に走ったのは約40年前・・・・


帰った後で、長男が突然ビデオを1本持ってきました。
以前NHKが放送した昭和のSLの映像集でした。

昭和40年代の矢岳越えの様子が写っていました。
見覚えのある煤塵マスクを下げた機関士さんが
汗とすすでどろどろになりながら石炭をくべている

客車ではトンネルに入るたびに大騒ぎ
すすと煙が車内に入って煙っています。

古いものすべてがよいわけではなく
なくなる理由があるからいまはないのだと
改めて思いました。

SLの技術者になりたい!と無邪気に意気込む長男に
新しい技術を研究して開発して未来のSLを作ってちょうだい!
と励ましてみました。

  
タグ :SL


Posted by わくわくなひと at 18:53Comments(0)